自閉症きょうだい児の愚痴吐きブログ

自閉症(知的障害あり)の兄を持つ妹。結構キツイ本音をイラストで語ってます。

全校生徒の前で恥をかいた日(公開処刑part2)

   

 

これ、当時を覚えてる人がいたら完全に身バレします。実際にあったことなんで。まぁバレてもいいや(笑)

小学生の頃、自分でいうのもナンですが、私はそこそこデキる子だったと思います。成績も上位の方だったし、運動神経も良かったのです。いつもクラス対抗のリレー選手に選ばれました(学校対抗にも選ばれました)。長距離も早かった私は、3年生の時マラソン大会で優勝!私の通っていた小学校は1学年5クラス(1クラス約35~40人)もあるマンモス校だったのでマラソン大会で優勝することは結構すごい事だったんです。

そして何より全校集会で壇上に上がり表彰されることはめったにない事なんです。習字や作文で賞をとった人か、マラソン大会で優勝した人、コンクールで入賞した人が表彰されますが、だいたいいつも同じ人でした^^; 6年間、卒業式以外で壇上に一度も上がれなかった人なんてザラです。まぁマンモス校だったので仕方がないのかもしれません。

 

だから私は、純粋に表彰されることが嬉しかったのです。本当に誇らしかった。

 

でも、、、障害者の兄がすべてをブチ壊しました。

 

↑の漫画は大袈裟ではなく、本当のことです。私が大きな声で返事をしようとしたまさにその時、体育館中に響き渡る声で「ハーーイ!!!」と叫んだんです。

 

そして体育館は爆笑の渦に包まれました。

 

教師も笑ってました(クスクス笑っていた姿、ばっちり目に焼き付いてます)。

 

みんなみんなみーーんな笑ってました。

 

その笑いの渦のど真ん中をみんなの大注目を浴びながら壇上に上がり、おどおどしながら表彰されます。しかし、表彰された後も1~6年生の優勝者全員の表彰が終わるまで壇上で突っ立って待っていなければならないのです。

その日家に帰った後、賞状をどうしたのかは覚えていません。でもどうしても辛い思いが残っていて・・・数日後に泣きながら破り捨てました。どうせ額縁に入れて飾られていた訳でもないですし、我が家にとっては大したものではなかったのでしょう。表彰と同時に新聞社からメダルももらいましたが、それももう何年も前から行方不明です。

そして悟りました。「あぁ、やっぱり私に”イイコト”が起こるはずないんだ。優勝した時は本当に嬉しかったけど、結局後で地獄に突き落とされるなら、優勝なんかしなければよかった。」と。

次の年からバカらしくなって適当に走るようになり、高学年になってからはさぼったりズル休みをしたりし始めました。リレーの選手は最後まで選ばれたけど、あれも途中から嫌でたまらなかったな~。

思い起こせばこの頃から漠然と「何やってもムダ、死にたい」と思うようになってきたのだと思います。

一つ断っておきたいのは、笑っていた周りの人達、彼らを責める気は一切ない(教師は別、てめーらはみんな死ね)ということです。不意打ちであんな声が聞こえてきたら、そりゃ笑うよね。私だって第三者だったら悪気なく普通に笑ってると思う。しかもあの時笑っていた人達は私がまさか死にたくなってるとか、常日頃から障害者の兄がいて嫌な想いや恥ずかしい想いをしているなんて誰一人として思ってなかったはずです。しつこいけど今のようにネットもなかった時代、きょうだい児なんて言葉もなかった。

でもね・・・あの時の私は・・・

恥ずかしかった!ただただ恥ずかしかった!!死ぬほど恥ずかしかった!!!いや、恥ずかしくて死にたかった!!!

それだけを描きたかったんです。

頑張って獲得した名誉が一瞬にして恥に変わる・・・しかも身内のせいで。これでも慈悲の心で兄を大事に想わなければならないんでしょうか。

もしかしたら、”障害者の兄弟がいるからこそ優しい子に育った” というきょうだい児さんは、私と同じようなことが起こっても「誰に笑われても気にしない!みんなが笑うなら、来年も再来年も誰にも笑われないようになるまで頑張る!」とか思うのかもしれません。

あんたの性格の問題だ、と言われてしまったらそれ以上何も言えません。でも、嫌だったし恥ずかしかったんだからその気持ちに嘘をついても仕方がないんです。

あ~やっぱり別に学校にしてほしかったな!

sponsored link

 - 小学校時代の思い出 , ,