自閉症きょうだい児の愚痴吐きブログ

自閉症(知的障害あり)の兄を持つ妹。結構キツイ本音をイラストで語ってます。

30年以上罪悪感に苛まれた結果(閲覧注意)

   

物心ついた頃の私は、近所で仲間外れにされている兄をかばい、イジメる年上の男の子と取っ組み合いの喧嘩までしたりする勇ましい子どもだったそうです。幼稚園に入る前なので3~4歳くらいの話です。あまり覚えていませんが、とにかく兄を守らないと、親を喜ばせないと、と必死だったんだと思います。(兄に暴力振られていたのに・・・w)

ところが成長するに連れ、だんだんとある疑念が沸いてきました。

「外食しても旅行に行っても全然楽しくない、いや、むしろ恥ずかしくて辛い。それは・・・・兄のせいなんじゃないか?」

と・・・。

いや、気付くの遅いでしょ。と言われそうですが、子どもなんてそんなもんでは。だって生まれつきの環境が日常=当たり前の常識なんだから、『我が家がどこかおかしい』なんて微塵も思いません。自分が恥ずかしい想いをしいているとか辛い想いをしている原因なんて本当にわからないんです。成長する過程で、周囲の家庭などと比べて徐々に徐々に気付いていくものだと私は思います。

そしてこの「兄のせいでは?」と思い始めてから、だんだんと将来のことなどを考えるようになり、心の奥底の方から抑えられない声が聞こえてきたのです。

 

「死んでほしい・・・」

 

こう書くのってものすごく勇気が要るのです。今でもこの記事の『公開』ボタンの横にある『ゴミ箱へ移動』を何度も押そうか迷っています。例えば身内を殺した殺人犯とかに対してなら「死んでほしい」と堂々と言えるでしょう。世間様も同情して「そう思うのは当然だろう」と言ってくれるだろうし。でも、私がそう願う相手は仮にも血のつながった近しい身内です。しかも彼は『障害者』という水戸黄門の印籠を持っています。そして私自身も彼は障害者なのだから『仕方がない』と頭では理解しています。世間様に向かって「障害者の兄が鬱陶しいから死んでほしいと思っています」とでも言えば当然非難轟轟、私は最低な人間という烙印を押されることでしょう。

きょうだい児の中でも「死んでほしい」「そこまでは思わない」と二つに別れるようです。兄と同じ特殊学級のきょうだい児さんの中には後者の人もいました。私は前者なわけですが、ネット上でも後者のきょうだい児から「私は死んでほしいなんて思いません。さすがにひどくないですか?」なんて言われた日にゃー、もう心臓をえぐられるようで身悶えてしまいます。何も知らない一般人に同じセリフを言われても反論できるんです。「はぁ?じゃああんたが一緒に生活してみろよ!」ってね。でも、同じような環境で生きてきたはずの人間にマザーテレサよろしく、清廉潔白な心を見せつけられると、聖水に触れた瞬間に塵と化した悪魔のような気分になります。そりゃそうですよね、「死んでほしい」なんて最悪なことを考えるのは兄が原因ではなく私自身の問題だ!と断罪されているようなものですから。

だから私はこの気持ちをずっと心の奥底に押し込め、その気持ちが膨らんでくる度に無理やり抑え込んで来ました。でもどんどんどんどんその気持ちは膨らんできてしまいます。そしてついに「あ、私は兄の死を願っているんだ」ということを自覚せざるを得なくなりました。そしてそこからが新たな地獄の始まりです。

そう、罪悪感に苦しめられることになるのです。

この罪悪感とは相当厄介なものです。

「私は生まれてきちゃいけない悪魔だったんだ」

「もっと良い妹が産まれていたらお母さんもお父さんも喜んだはずだったのに」

「私は最低だ、最低な人間なんだ」

「死んだ方が良いのは私の方だ」

などと、もう一人の自分がささやきます・・・。

そして私は自己肯定感がどん底になりました。この自己肯定感の低さは後に私の日常生活や他者との関係に様々な支障を来す原因となりました。その『生き辛さの原因』は28歳の時にカウンセラーに言われるまで、全く気づきませんでした。

そこから夫の力を借りたり、様々な本を読んだりして0だった自己肯定感は60くらいまでは回復したと思います。

でも、まだふとした時に現れては私を苦しめます。

こればかりは少しずつ訓練していくしかないと思っています。

私もドヤ顔で「血の繋がった兄弟に死んでほしいなんて言ったらダメだよ!」と言える側の人間になりたかったです。

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